にしお観光ボランティアガイドの会 ~大給松平家ゆかりの地をめぐる~
公開日:2024年05月28日 最終更新日:2024年05月28日
令和6年3月23日(土)~6月23日(日)まで西尾市資料館 企画展ゾーンにて「大給松平のお殿様と転封」が展示されています。
その企画展にあわせ「西尾城下まちあるき」を令和6年5月26日(日)10:00~「にしお観光ボランティアガイドの会」が開催するとの情報を頂いたので取材に行ってきました。
当日は、初夏の日差しの中、一般参加者11名、「にしお観光ボランティアガイドの会」の佐藤さん、稲垣さんとMICの学芸員で柴田さん、西尾市の広報の方1名合わせて15名で始まりました。
はじめに、西尾小学校の入口の「太鼓門址」の説明から「尚古荘」の「丑寅櫓址」、西尾の商家で味噌づくり150年の「はと屋」さん、出雲の「日御碕龍神社」の由来の説明、「丁田門址」から現存する「足軽長屋」鈴木与八邸を見学
「伊文神社」へと足を延ばし「妙満寺」の「ヒサヤ大黒堂」の碑、「大給神社」「追羽門址」のあと「盛巌寺」に、山門の由来を聞き境内へ西尾城主の松平乗全とその妻の墓石があり、大給松平氏の菩提所となっています。
移動の道々での町名の由来や様々なお話をお聞かせいただき、大変勉強になりました。
参加者の皆さんは歴史好きの集まりで知識の豊富さに愕然としました。延べ1時間40分のまち歩きでしたが、ご説明いただいた「にしお観光ボランティアガイドの会」の佐藤さん、MICの柴田さんお疲れ様でした。ありがとうございました。
集合は西尾市歴史公園「鍮石門」前で
西尾小学校入口の「太鼓門址」と「尚古荘」
「丑寅櫓址」と約150年の歴史をもつ商家「はと屋」さん塀の瓦には鳩が乗っています。
出雲から江戸屋敷を経てこの地に「日御碕龍神社」と「丁田門址」
現存する(復元)「足軽長屋」
当時の足軽長屋の住人「鈴木与八」さんの資料
「伊文神社」
「伊文神社」に現存する「義倉蔵」
「妙満寺」ヒサヤ大黒堂の石碑と有名な長唄師匠の碑
今も面影が残る「武家屋敷」の玄関と「大給神社」
「追羽門址」と「盛巌寺」山門、屋根の瓦の葺き方が90°違います。その理由は?ご住職にお尋ね下さい。
大給松平の菩提所の由来と「14代松平乗全とその妻の墓石」
冷たいお茶とお菓子のお接待を受けました。ありがとうございました。お送りして頂いた「盛巌寺」住職さんです。
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「西尾城下まちあるき」の取材先地図はこちらをクリック(西尾市歴史公園を参照)